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2005年04月19日(火)

出生届

NICUに我が子を残し、私だけ先に退院しました。
私はしばらく実家にお世話になることになっていて
くまちゃんは自宅。
家族3人「ひとつ屋根の下」での生活はしばしお預けです。
こんな風になるとは思ってもみなかったので
少しさびしいです。

でも、くまちゃんが出生届を出しに市役所に行くのに
私も付き合うことができました。
赤ちゃんと一緒に退院していたら
市役所に足を運ぶなんてできなかっただろうな。
戸籍に我が子の名前が載るって、すごく感動的です。

名前は、くまちゃんが名づけました。
パソコンを駆使したり、名づけの本を読んだりしていましたが
なかなか決まらずにいたところ、
私が早産してしまうという晴天の霹靂。
事前に考えていたものはふっとんでしまったようです。

「私が救急車で運ばれたときにパッと脳裏に浮かんだ」
そこから名前がつきました。
(ひらめきが元ですが、2文字目はバランスや画数を考えたようです。)

そのパッとひらめいた文字というのが、
私の父が、
「これにしろよ。。」
と妊娠中の私に言っていた文字なんですから・・・
(なにしろ夢で見たそうで。。)
実父は自分が名付け親になった気分で
人一倍喜んでいました。。
(感情が顔に出るタイプの父なので本当に喜んでいるのが
良く分かるんです。)

2文字目はくまちゃんの父が予想していた漢字だったそうで
これも驚き。

これだけ皆に喜ばれる名前で、幸せですね。

あだ名は「ゆっくん」です。


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18:27  |  ゆっくん0歳  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005年04月14日(木)

出産

1日眠れぬ夜を過ごし、1夜明けて再び検査。
子宮口が・・・5cmに開いていました。
ウテメリンの滴下量は最大ということで、
これでだめなら出産になると言われました。
お昼頃、もう一度、検査。
子宮口が7cmに。
ウテメリンの点滴をやめ、出産することになりました。

分娩室に移動するとき、ちょうど母が来ました。
私はこうなったことをまだ誰にも連絡していませんでした。
・・・というかそれどころでは無かったので。
くまちゃんは仕事のため、まだこの事実を知りませんでした。
母に、連絡してもらえるよう頼んで、いざ、分娩台へ。

分娩台で、どんどん陣痛の痛みが強くなっていきました。
急な出産で
呼吸法も産み方も分からなくて助産師さんに教えていただきつつ
研修医の先生に腰をさすってもらいつつ
別の助産師さんと一緒に深呼吸をしながら、
「イタイ!イタイ!」
と声を限りに叫び

しまいには
「もう無理!」
とまで・・・・(あとから考えると恥ずかしい限り。)

そんなこんなで無事出産しました。

赤ちゃんは1796g、病院内で最も小粒の赤ちゃんでした。
頭と肩が出るとき痛かったですが
その後は一瞬でした。
カンガルーケアも何も無く
「ふぇーっ」
というかぼそい声だけを残して
赤ちゃんはNICUに連れて行かれてしまいました。

そのあと2時間、分娩台の上で動かずにいました。
母がそばに居てくれて、ほっとしました。
赤ちゃんの生まれた喜びというよりは、
あまりの痛みから解放された安心感だったのかもしれません。
涙がでました。


会えたのは・・・
2時間後。
母から連絡を受けて急いで駆けつけたくまちゃんと
手足・鼻にチューブや点滴がつけられて痛々しい姿の我が子と
対面しました。

NICUの他の赤ちゃんと比べても1回り小さな赤ちゃんでしたが
とにかく手足をよく動かして元気いっぱい。

BABY、生まれてきてくれて、ありがとう。


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19:00  |  ゆっくん妊娠&出産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005年04月13日(水)

妊娠33週目(9ヶ月) 出産前日

私の人生の中で、もっとも怖くて長い1日だったかも知れません。


朝方、6:00頃、ものすごくお腹が痛くて起きてしまいました。
今までに感じたことがないような痛み。
子宮の痛みなのかな?良く分からず。
トイレに行ったら、少し血がついていました。
?なんだろう?
痔・・・だからかな。
お腹の痛みは、くまちゃんに背中をさすってもらったら少し良くなって
そのうち眠ってしまいました。

次に目が覚めたのが9:00ごろ、
お腹の痛みは無くなっていました。
「病院に行った方がいいよ。」
くまちゃんに言われて、治ったから平気かな・・・と思いつつも
心配なので病院に連れて行ってもらいました。

車で20分くらい、
痔なので、助手席に座っているだけでおしりが痛かったです。


診察を受けてはじめて、大変な事実を知りました。
既に、「子宮口が3cm開いている」という診断だったのです。
内診をしながら、先生が驚きの声を上げ・・・
それを聞いて、私も事の重大さを知ることに。

9ヶ月、33週5日、子どもは1800gとちょっと。
今生まれてしまうと予定日より1ヶ月半も早く、
まだ自力で呼吸できるか危うい状態だというのです。
それなのに、赤ちゃんは出てくる準備をしていました。

1日でも2日でも長く、
母体に赤ちゃんをとどめなくてはならないと言われました。
それには動いてはいけないそうで、
すぐにベッドに横になるように指示されました。

小さな個人病院のため、生まれてしまった場合
未熟児の赤ちゃんをケアできる施設がなく
NICUのある病院へ救急車で搬送されることになりました。
子宮口がこれ以上開かないように
ウテメリンの点滴をしながら。

搬送先は、1番近い大学病院が満床で入れず、
NICUのある隣の市の病院(車で30分くらい)になりました。


子宮口が3cm開いている事がわかったとき
「どうしてウテメリンを飲まなかったんだ」
先生はかなり強い口調でこういいました。
飲まなかったのか・・・と問われても
処方されていないものをどうやって飲める?
私が処方されていなかったことを訴えると
「もっと早く来てくれれば!」
と今更・・・としか思えないことを・・・

25週で「早産に注意」と言われ、
そのときはウテメリンを処方されたので、飲んでいました。
でも・・・
29週には、早産については全く触れられなくなっていました。
逆子が治らないからと、毎週病院に通っていたというのに
どうしてきちんと見てくれなかったの?
私は何も言われなくなったので、
「早産」はもう大丈夫なんだと思い込んでいました。
その思い込みが、あとで大変な結果を招いてしまったのです。
いくら後悔してもあとの祭りです。

救急車の中では、つきそいの看護師さんが2人ついて
お腹のはりが何分おきかを調べていました。
「おなかが張ったら教えてください」
と問われ、私がおなかの張りが分からず答えずにいると、
私のお腹を触って
「ほら、おなか、張っているじゃない。分からないんですか?」
と怒られました。

昨日までは考えもしなかった
早産してしまうかもしれないという事実。
それだけでも十分ショックを受けていた私にとって
こういった医師の言葉、看護師の言葉は、かなり辛かったです。
もしかしたら、もっと早く入院していなくてはいけなかったのかもしれない。
とはいえ、こうなってしまったら
一日でも長く、赤ちゃんがお腹の中に居られる様に
頑張るしかない・・・救急車の中で、覚悟を決めました。

私は救急車、くまちゃんは車で後を追ってきてくれました。
11:30頃、転院先の病院に着き、すぐに診療がありました。
やはり同じ診断。
1800gだと、肺呼吸を自力でできるかわからない。
1日でも2日でも持たせましょう。とのこと。
自力で肺呼吸ができない場合、
うちでは見られるか分からないので
赤ちゃんだけだけ小児医療センターへ
転院させることになるかもしれない。
そう言われました。

産まれてから、赤ちゃんだけが遠くに行ってしまう・・・
最悪の事態をなるべく考えないようにしました。

その後は、ウテメリンの点滴を打ちながら
陣痛室のベッドにずっと横になっていました。
時々、お腹の張りを調べる機械をお腹につけていました。
ウテメリンの量はどんどん増え、
トイレに立ったとき、立ちくらみがして、
しばらく立てなくなるほどでした。

何もすることが無くて、ただベッドに寝ているだけ。
妊婦なのでうつぶせにもあおむけにも寝られません。
更におなかに張りを調べる機械をつけているので
あまり体を動かすことができず、横向きに寝ていると
下になっている方の足が痛くなってしまい、きつかったです。

私がベッドで寝ている間、
くまちゃんが病院の事務手続きやら
私の実家への連絡をしてくれていました。
急な入院だったというのに、父母、義父母も来てくれました。
皆が居た、18:30くらいまでは
まだ張りもあまりなく、大丈夫でした。

でも、その後・・・
夜、張りがおさまらないということで、
張りを調べる機械をずっとつけていることになりました。
ウテメリンの点滴の滴下量がどんどん増え、
心臓がドキドキして体が熱く、
機械をつけていて寝返りもできない
更に陣痛室には他の妊婦さんがいて(4人部屋満床)
痛い痛いの大合唱!
苦しくて、ほとんど眠れずに夜を過ごしました。
夜中、出血。おしるしとのことでした。

転院先の病院では
助産師さんが皆さんとても優しくて、
救われました。

まだまだ出産は先だと思っていたので
出産についての知識がほとんどなく
2回あったマタニティスクールも1回参加しておらず
出産のココロエなるものは全くなし。
早産してしまうかもしれないという不安でいっぱいの私には
助産師さんたちの優しさが心に染み入りました。


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20:06  |  ゆっくん妊娠&出産  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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